日本の歴史幕末日本の情報収集力とペリー来航

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クリミア戦争に敗れたロシアは、中央アジアに矛先を替え、1870年代にウズベキスタンなどを押さえてイギリス領インドに迫ります。

又、クリミア戦争が起きた1853年は、アメリカのペリー艦隊が日本に来航して、開国を求めた年です。これは決して、偶然の出来事ではありません。

当時、日本に対して、ロシア、イギリス、アメリカなどが関心を示していました。こうした状況の中、アメリカは、イギリスとロシアがクリミア戦争を戦っている隙をついて、日本にやってきたわけです。

江戸幕府もそうした国際情勢を知らなかったわけではありません。幕府は長崎のオランダ商館から西欧諸国の情報を集めており、ロシアが日本を領土として取り込もうとしていること、イギリスが世界中に植民地をつくり、アヘン戦争で大国、しんこくに勝利するほどの軍事力を持っていることを、じゅうぶんに把握していたのです。
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