歴史から学ぶ②豊臣秀吉の秀次切腹事件と組織運営

豊臣秀吉の晩年の愚行として知られている、朝鮮出兵と秀次切腹事件。織田信長に仕え、足軽から天下統一を成し遂げた秀吉ですが、その晩年は耄碌して自らの愚行によって豊臣政権を滅亡へと追いやったと一般的に思われています。その愚行の一つとされている、秀次切腹事件を紹介します。
文禄4年1595年7月15日、高野山で起きた関白豊臣秀次の切腹とその妻子の集団処刑に至る騒動の事を言います。秀吉から関白を譲られた、甥・秀次は名実と共に、豊臣政権の2代目となりました。しかし、殺生関白と呼ばれる程暴虐な振る舞いが多く、のちに生まれた実の息子ひでよりを後継者にしたい秀吉によって、高野山へ追放、切腹を命じたと言う説が一般的な認識だと思います。
この事件が豊臣政権が滅ぶ原因だったといわれる説が最近発表されました。史料を元に事実関係をご紹介します。
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