江戸時代の虐待…せっかん死の親は打ち首

江戸時代には子供を虐待により、

せっかん死させた親にはうち首の事例があります。

児童虐待はいつの世にもあったのです。

「かつては乳幼児死亡率も高く、『7歳までは神のうち』

といわれて子供の死にあきらめの感情を持っていました。さらに、経済的な事情から堕胎したり、産んでも間引きをしなければならない状況もありました」、

「だからこそ、親は育てようと決めた子供はかわいがり、注意深く大切に育てたとも考えられます」江戸時代に子供をせっかん死させた親への刑罰は原則として、打ち首でした。

わが子を慈しみ大切に育てるのが「善」ならば、まぎゃくの行いであるせっかん、つまり虐待は極刑に値する「悪」だったのです。そこには“法”の抑止力もある程度働いていた様子が浮かびます。親たちはいつごろから、どんな経緯で、わが子をたたいてしつけるようになったのでしょうか。

しつけと虐待の境目が見えなくなったとき、抑止力を感じる親たちもいなくなってしまったように映ります。

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